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事例紹介

2020.03.19

産地の未来を見据え、世界のスタンダードとなるブランドを目指す『株式会社 百田陶園』

1616年に陶祖、李 参平(り さんぺい)によって日本で初めて陶磁器がつくられて以来、有田焼の産地として発展してきた佐賀県有田。この地で3代続く有田焼の商社を営む『百田陶園』とデザイナー柳原照弘さんとの協働により、2012年に全く新しい有田焼ブランド『1616/arita japan』が誕生しました。このブランドは、世界最大規模の家具見本市『ミラノサローネ』で高く評価され、産地全体にも大きな影響を与えています。百田陶園の代表取締役、百田憲由さんに協働のきっかけや今後の展望についてお伺いしました。

 

代表取締役の百田憲由さん

 

百田陶園は、佐賀藩の下で窯焼きの仕事に従事していた「松尾家」をルーツに、江戸時代から戦前にかけては窯元として、戦後は有田焼の総合商社として歩んできました。現在、社長を務める3代目の百田憲由さんは、1994年に先代が急逝し、26歳で事業を引き継ぎました。
「1980年代は高級旅館やホテルで使う業務用の器を受注していましたが、僕が会社を継いだのは、バブルが弾けた頃でした。当然ながら有田焼の商社も窯元も、深刻な打撃を受けて減少していきました。若い頃からビジネスモデルとして今後も持続するか疑問を抱いていましたし、時代に合わせて変化しなきゃ、次の一手を打たなきゃと常に焦っていましたね」と百田さんは当時を振り返ります。

 

そんな状況のなか、2010年に東京の皇居前にある『パレスホテル東京』のリニューアルに合わせ、フラッグシップストア出店の話が舞い込んできたのです。「テナント料は高いし、出店しても売れるとは限りません。半年間悩んだ末に、ここを未来の有田を日本中に発信する場所にしよう、ここから百田陶園を変えていこうという思いで出店を決意しました」

 

空間設計は、デザイナーの柳原照弘さんに依頼しました。「初めてお会いしたときに、柳原さんは産地の未来を一緒に考えてくれる人だと感じたんです。当時の有田の現状は深刻でしたから、東京に綺麗な店舗を作ったくらいでは何も変わりません。僕は柳原さんに『とりあえず有田に来て、現状や歴史を見ていただいてからお話ししましょう』と伝えました。そうしたら翌週には、有田へ足を運んでくれたんです」

 

デザイナーの柳原さんと百田さん

 

百田さんは柳原さんに『パレスホテル東京』への出店を機に、有田焼を日本中に発信して、ビジネスとして立て直したいという思いを伝えました。すると柳原さんは「世界中に発信すべきだ」と言ったそうです。「僕は日本って言ったのに、彼は世界って言うんです。面白い人だなと思いました」。さらに柳原さんは「有田焼で世界中に認められるスタンダードブランドを作りたい」と言いました。それを聞いて、百田さんは「この人と心中しても構わない」とまで感じたそうです。
こうして百田陶園は、ブランディング、プロダクトデザイン、空間設計の3つのプロジェクトにおよそ2億円を投資して、柳原さんとの協働をスタートしました。当時の百田陶園は、この大事業に全社を挙げて取り組むため、通常業務を全てストップしていたそうです。

 

プロダクトデザインについては海外展開も見据え、柳原さんによるシンプルなデザインと、オランダのデザイナー、ショルテン&バーイングスによるこれまでにないカラフルなデザインの2つのラインアップが提案されました。

 

『1616 / arita japan』は、柳原さんによる『スタンダード』、オランダ人デザイナー、ショルテン&バーイングスによる 『カラーポーセリン』、フランス人デザイナー、ピエール・シャルパンによる『アウトライン』の3シリーズを展開している ©Elizabeth Heltoft Arnby

 

デザインは最終的に135アイテムになりました。量産時に使用する石膏型は、通常であれば10種ほどですが、これらのデザインを実現するためには、80種もの型を制作する必要がありました。百田陶園と制作に関わった窯元が投資した金額は計4000万円となりました。しかし百田さんは、投資に対しての迷いはなかったと言います。
「柳原さんの提案は、非常によく考えられたものでした。ここまで考えて提案してくれているんだと知り、こちらも本気で取り組まなければと強く思ったんです。本気でぶつかれば、銀行も納得してくれました」

百田さんは、この協働において自分のなかにルールを課していたそうです。それは、柳原さんのアウトプットに対して口出ししないこと、予算などの制限も加えないことでした。

 

「百田陶園を180度変えるためには何が必要で、どう行動すればいいかということしか考えていませんでした。経営者としては口を挟みたくもなるけど、そのせいで柳原さんが100%の力を発揮できなければ、変化を求めるチャレンジとしては失敗です。柳原さんはデザインに専念し、窯元は作ることに専念し、僕は経営に専念する。お互いを信頼し、各自が自分の専門分野にしっかり取り組む。協働ってそういう関係だと思います」

とはいえ、プロジェクトチームは最初から一枚岩になれたわけではありません。絵付けをしない有田焼、2㎜の厚みのエスプレッソカップ、歪みがないフラットなお皿など、柳原さんが提案するデザインはこれまでの有田焼の常識からは考えられないデザインでした。火入れをする際にどうしても発生してしまう縮みや歪みを入念に計算したうえで石膏型を開発しなければならず、提案通りのデザインを実現するために試行錯誤を繰り返しました。ときには、窯元の理屈でデザインが勝手に変更された商品が上がってくることもあったそうです。

 

「窯元さんからすると“焼物のことを何もわかってない”という思いもあったでしょう。でも、今までに培った技術を駆使して、どうしたら柳原さんのデザインを実現できるかチャレンジしてほしいと窯元さんを説得しました」。結果的にこの言葉が窯元を奮い立たせることになり、型づくりや色付け、さらには焼き方に至るまで、さまざまな新しい試みが取り入れられることになります。

「みんなが不安を抱えていました。でも、結局自分との戦いなんです。覚悟するしかないんです。覚悟が勝ったからこそ、精一杯やり遂げることができました」

 

こうして完成した『1616/arita japan』は、デビューと同時に世界にその名を響かせることになります。パレスホテル東京の店舗に並ぶ1ヵ月前に開催された『ミラノサローネ』で大絶賛され、ニューヨーク・タイムズを皮切りに世界の5大プレスから取材を受けたのです。しかも、翌年のミラノサローネでは『エル・デコ・インターナショナル・デザイン・アワード・2013』のテーブルウェア部門で世界一を受賞しました。

 

『ミラノサローネ』での展示のようす ©Takumi Ota

 

現在、柳原さんとの新たな取組として、有田にある百田陶園のショールームの改装をしています。
自然光を取り入れた150坪のゆとりのある空間に、暖炉のあるリビングルームや、ワインも楽しめるカウンターバーとワインセラーを設置。『1616/arita japan』がある生活が想像できる空間になるそうです。床材や家具は全て北欧から直接輸送されたものを使用し、壁は全て有田の左官職人によって有田焼の原料である陶石を混ぜて手作業で仕上げられました。

 

百田陶園のプロジェクトは、産地全体を盛りあげるための取組へと広がりを見せています。磁器生産の開始から400年の節目の年となる2016年に向け『1616/arita japan』のノウハウを活かした新ブランド『2016/』の開発もスタートしました。これは百田陶園だけの取組ではなく、有田内の16もの商社と窯元、世界中のデザイナーが参加する、佐賀県主体の大プロジェクトです。
「有田には、有田焼に関わる数百の商社や窯元がいます。50年先の未来を想像したときに、仮に1社が成功しても産地が成功したことにはなりません。だからノウハウを共有し、産地全体で取り組もうと決めたんです。有田は後継者不足が深刻な課題なんですが、『2016/』の発表後、都会から跡取りが帰ってくる商社や窯元が増えてきました」

 

『2016/』は、比較的低価格で大量生産をおこなう『スタンダード』シリーズと、職人の手による高価格帯の『エディション』シリーズを軸に展開 ©Scheltens & Abbenes

 

有田の町には、百田陶園から広がった「50年後の未来」を考える動きが少しずつ、しかし確実に広がりつつあります。百田陶園自身もパレスホテル東京に出店した5年後の2017年には黒字化を果たし、現在は有田にある本店ショールームのリニューアルも進んでいます。
2つのプロジェクトを経てなお、百田陶園は変化を続けています。百田さんは、有田のみならず、日本の伝統産業を俯瞰してこう話しました。

「伝統や歴史を守るということは、1つのやり方に固執するという意味ではありません。常に革新的なチャレンジをすることです。それが結果的に、時代の変化に対応していくことに繋がり、伝統や歴史として残っていくことになるのだと思います」