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CREATIVE PLATFORM OITA

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事例紹介

2019.03.14

クリエイターとの共創で大分の味を全国に発信『株式会社 成美』

大分県豊後大野市で食品加工業を営む『株式会社 成美』は、大分県内の食材を用い、自社商品とOEM・ODMをあわせて約90種類ものレトルト食品を製造しています。
代表取締役の岩切知美さんは、豊後大野市の緒方町出身。2012年に第1号商品である『豊後おがたん鶏汁』を開発し、起業しました。

 

『鶏汁』は、豊後大野市をはじめ、県内各地にハレの日のご馳走として伝わる郷土料理。かつて『鶏汁』には、各家庭で飼育している鶏が使用されてきました。岩切さんは幼いころ、祖母から「鶏の命をいただくのだから、その命とともに長く生きなさい。命に感謝して、大事にいただきなさい」 と教わったといいます。

 

岩切さんの祖母・後藤 絹さんは、紙粘土で豊後大野市の暮らしを表現した『絹さん人形』の作者として知られています。農家の日常や冠婚葬祭、戦時中の光景に至るまで、1人の女性が見てきたものや体験してきたことを事細かに再現した『絹さん人形』は、豊後大野市の郷土史を知るうえでも重要な資料。75歳から晩年までの間に絹さんが制作した数百点にも及ぶ作品の一部は、豊後大野市の『おくぶんご緒方荘 俚楽の郷 伝承体験館』に展示されています。

『おくぶんご緒方荘 俚楽の郷 伝承体験館』に展示されている『絹さん人形』

 

「祖母は75歳からチャレンジして、多くの作品を残したんです。晩年に祖母が詠んだ句には『自分が死んでも人形は残り、時代を語り継いでくれる』という意味が込められていました。私も食を通じて、伝統や思いを次の世代に繋げていきたいと思ったんです」

このような思いから、岩切さんは「命を大切にいただく」という祖母の教えとともに受け継いだ『鶏汁』の味を再現し、商品化する決意をしたのだそうです。

 

しかし、商品完成後の道のりは平坦なものではありませんでした。各地の百貨店やスーパーなどの催事で試食販売を実践しても、思うように売上は上がらなかったといいます。
「販路もなかなか広がらないまま、2年半が経ってしまいました。もし3年経っても結果を出せなかったら、方向転換も考えていました」と岩切さん。
資金確保のために補助金申請にもチャレンジしたそうですが、「大分の汁物といえば団子汁だ。鶏汁なんて知名度も低いし売れない」と相手にしてもらえなかったといいます。

『株式会社 成美』代表取締役 岩切知美さん

 

「当時のトレンドは冷蔵・冷凍のお取り寄せ商品でしたから、レトルト食品であるということもネガティブに捉えられていました。でも、私は本当にいい素材で作った美味しいものならば、絶対にレトルト食品のニーズはあると信じていたんです」

 

そんなときに出会ったのが、『株式会社 インプレス』の綿貫裕崇さんでした。岩切さんが綿貫さんにデザインを依頼すると、「この商品のパッケージにデザインを加えたとしても、10年後に爆発的に売れる商品に育つとは思えない」と言われたそうです。では、この商品を後世に伝えていくためにはどうしたらいいのかと尋ねると、綿貫さんは「1本の柱では頼りないのだとしたら、柱を増やして支えればいい」と答えました。

 

「その柱がなんなのかがわからないから、一緒に考えてほしいと伝えたのですが、それから音沙汰のないまま3ヶ月ほどが経ちました。もう諦めかけていたときに、また綿貫さんにお会いしたんです」

 

そのとき綿貫さんは、デザインや事業展開のプランを提案してくれたのだそうです。そのプランとは、『SOUP Kitchen Oita』というブランドを構築することでした。『豊後おがたん鶏汁』を主力商品としたブランドのなかで商材を増やすことで、柱を増強し、事業としての強度を上げる。この綿貫さんの提案を実現するにあたり、喫緊の課題となったのは資金繰りでした。
岩切さんがこれまで何度も補助金申請に失敗してきた経緯を説明すると、綿貫さんはプレゼンテーションの作り方も指導してくれたそうです。

 

「私はいつも二次審査の面接で落選していたんです。審査員にいろいろ質問されているうちに、なんでわかってくれないんだろうって気が立ってきちゃって。それを綿貫さんに伝えると『わかってくれないなら、わかるような資料を作らなきゃ』って指摘されました。その一言で意識が変わりましたね」

 

綿貫さんにアドバイスを受け、審査員とのコミュニケーションの取り方を意識することで、岩切さんは補助金を獲得することができたそうです。

『SOUP Kitchen Oita』商品ラインナップ(一部)

 

また、営業やサンプル送付を続けても一向に広がらなかった販路についても、綿貫さんは「興味のないところに売り込んでもダメですよ。興味のある人が集まるところで売るんです」と教えてくれたそうです。
綿貫さんの勧めで食品業界の展示会に参加し、地方の商品を集めたブースに出展すると、3日間の会期中、絶えず行列ができるほどの大盛況になりました。それ以来、岩切さんは営業はせず、展示会や商談会で販路を開拓しているそうです。

 

こうして綿貫さんと二人三脚で作りあげてきた『成美』のブランドは、現在は『SOUP Kitchen Oita』『おおいたジビエ ソバージュ』『NARUMI Cooking Oita』の3本柱で展開しています。このように事業が成長・拡大してきた裏側には、岩切さんがビジョンに基づいて立てた事業計画がありました。

 

「事業を立ち上げたときは、月10万円の売上が目標でした。2年半経って、工場を移転した当時の年商は200万円。このときの目標は、いかに年商を1000万円まで伸ばすかということでした。そこで私は400万、800万と、毎年倍増する計画を立てたんです。それから6年間、順調に目標を達成しています。でも、これ以上の成長を目指すには、設備を増設するなどの投資が必要になってきます。本当に厳しいのはこれからですね」

目標を達成するたびに、さらに高い目標を掲げることを続けているという岩切さん。そのモチベーションやバイタリティはどこから生まれてくるのでしょうか。
「目標や夢って、漠然としたものではダメなんです。目標が達成できないのは、明確に立てられていないからです。10年後にどうなりたいかを具体的にイメージして、それを実現するために今すべきことを考えることが大切です」

現在『成美』は多くのメディアに取りあげられ、数々の受賞歴を持つ

 

しかし、岩切さんは9年後には現職を退くと決めているといいます。
「この会社を後継者に引き継いで、私自身は次のステップに進みたいんです。時代は変わっていきますから、このままずっと自分の感性が通用し続けるとは思っていません。今のコンセプトは大切に守りながら、100年続く会社として、次の世代に継承していきたいと思っています」

 

岩切さんの思い描く次のステップを伺うと「経営者はみんな孤独です。口先だけのアドバイスではなく、一緒に作りあげていくような関係性を求めているんです。将来的に、私はそういう存在になりたいと思っています。私が綿貫さんにしてもらったようにね」とお答えいただきました。

 

 

これまでに90種類以上もの商品をいかに開発してきたかを尋ねると、「食材の持つストーリーや生産者の思いを知ることで、自然とアイデアが湧いてくるんです。でも、女性ってみんなそうでしょ? 大切な人に美味しく食べてもらいたいって思ったら、料理のアイデアが湧いてきますよね」とお答えいただきました。

 

『成美』の成長の裏側には、岩切さんの女性ならではのアイデアや、人や土地を大切に思う気持ち、経営者としての揺るぎないビジョンがありました。そしてそれを力強く支えたのが、事業全体をディレクションしながら伴走し続けるクリエイター・綿貫さんの存在です。
クリエイターとの共創でブランドを育て、大きく成長した『成美』は、100年続く企業を目指し、無添加・手作りで大分県の味を全国に発信し続けています。