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CREATIVE PLATFORM OITA

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おしらせ

2018.02.15

江藤一弘さん(株式会社 インプレス 代表取締役/マーケティングデザイナー)

今回は、マーケティングを主軸とし、パッケージから店舗デザインまで幅広く手がける、別府市の株式会社 インプレスの江藤一弘さんにお話を伺いました。クライアントと現場で対話することを重視し、深い信頼関係を築く江藤さんのルーツや仕事において大切にしていらっしゃること、そしてデザイン業界全体に共通する課題をお聞かせいただきました。

 

聞き手:CREATIVE PLATFORM OITA(CPO)

取材日:2018年1月16日


 

CPO:まずデザインの仕事を志したきっかけからお聞かせください。

 

江藤:私は津久見市の保戸島出身なんです。高校を卒業後、映画の制作に関わる仕事がしたいと思い東京の専門学校に進学しました。日本の映画産業は衰退期にあり、卒業しても求人はなく、アルバイトの仕事を自分で探しても、映画制作現場での機材搬入程度という状況でした。そうしたなか、商業デザインを中心とした、グラフィックデザイナーやイラストレーターなどが注目されるようになりました。「これからはデザインだ」という知人の言葉に影響を受けて、デザインの専門学校に入学し、在学中に展示会やデパートのディスプレイのアルバイトをきっかけとしてデザインの必要性を学びました。現在のようにパソコンやプリンターがない時代ですから、デザインや図面は全て手描きです。それが自分には合っていたんでしょうね。レタリングや表具表装、木工などの職人さんたちとの交流も刺激的でした。デザイン設計通りにいかない場面にどのように対応していくかなど、現場でしか学べないこともたくさんありました。

 

江藤さんのデスクには、イラストや図面を手描きするためのツールがたくさん置かれている

 

CPO:そこからデザイナーとしてのご活動が始まったんですね。

 

江藤:いいえ。その頃と前後して、私は詩人に惹かれつたない詩を書き、謄写版で詩集を自作して上野の路上で売り、路上から東京を見つめていました。学生運動も終息し、その残火を抱えた仲間たちと深夜喫茶で幾晩も議論したり喧嘩になったりしたこともありました。仲間のだれかが言った「1970年からの戦後」という言葉が印象深く残っています。その後、くすぶり続ける仲間たちと別れ、私は金沢に行きました。

 

CPO:なぜ金沢を選んだのでしょうか?

 

江藤:金沢へはそれまで幾度も訪れていましたが、私の好きな詩人である室生犀星の故郷であり、そこに移住して彼の詩の源泉を探りたかっただけです。しかし、古くからの歴史伝統のある城下町で、薄汚いよそ者で保証人もない私が借りられるアパートはありませんし、不動産屋も門前払いでした。結局、数ヶ月経っても住居は見つからず、一旦大分に帰ることにしました。

 

CPO:激動の時代に、ご自身がいかに生きるかを模索されていたんですね。

 

江藤:そんな大層なことは考えていなかったのですが、人との出会いやご縁のなかで、自分自身が静かに燃えることのできることに向き合ってきたような気がします。それがデザインを生業とすることに結びついたんだと思っています。

 

壁に架けられているカレンダーは、江藤さんが長年イラストを手がけている「鉄輪愛酎会」が毎年発行しているもの

 

CPO:最初はどんなお仕事をされていたんですか?

 

江藤:印刷会社や看板製作、店舗設計を経て、自宅でデザイン室を開き独立しました。当時、別府にはデザイン事務所は少なくて、印刷会社や包装資材会社、店舗デザインや建築パースなど、いろいろな仕事を手がけていました。

 

CPO:当時は別府の観光産業と連動したお仕事も多かったのでしょうか?

 

江藤:まだ少し活気があった時期でしたから、お土産品などの包装資材関連のデザインもさせていただきました。パッケージや包装紙、手提げ袋、ラベル、シール。箸袋などもありました。パソコンもコピー機もなく、全てが手描きでした。特に食品の透明フィルム袋のデザインは裏からの逆書きでしたので難儀しましたが、今では楽しい思い出です。その後、平成2年に大分市で株式会社 インプレスを設立創業いたしましたが、現在は別府市に移転して営業を続けています。

 

CPO:企業の課題解決に繋がった事例があればお聞かせください。

 

江藤:広島県の豆菓子の老舗、徳永製菓の事例をご紹介させていただきます。先代の社長は、豆の話題になると1日中語っていられるくらい豆菓子が好きな方でした。商品も、職人が丁寧に作った美味しい質のいい豆菓子です。最初に訪問させていただいたときには、販路改革を推進されていたようで、直売店舗も検討されていたように記憶しています。

 

当時の徳永製菓の工場・社屋

 

江藤:工場・作業場は漆喰壁と瓦屋根の風格のある築100年前後の木造でした。これを再活用し本店の直売所としてはどうですかとご提案させていただき、作業場を昔の風合いを残しながらリメイクしました。一部包装資材などもデザインさせていただきました。平成17年の開店以降、豆菓子の情報発信の店舗としての機能を充分に果たしています。平成25年には、伊勢神宮外宮参道に出店し、参拝者や観光客のみならず、地元の皆さまにご贔屓をいただいています。

 

 

リメイク後の徳永製菓本店

 

江藤:デザインだけでは期待した成果は実現できません。それを導入決定する経営者や豆菓子製造に関わる職人さん、お店を運営するスタッフの方々の力添えが必要なのです。そうしたなかで、デザイナーとの信頼関係が生まれてくるのではないでしょうか。

 

 

CPO:江藤さんがお仕事のうえで大切にしていらっしゃることは何でしょうか?

 

江藤:『机に向かっていないときのデザイン』が大事ですね。現場で打ち合わせをしているときが、一番いいデザインの機会なんですよ。だから現場を見るということや、ものづくりをしている方々に寄り添いながら一緒に商品を開発するということを大切にしています。クリエイティブの仕事は必ずしも時間で測れるものではありません。デザインワークのうち机に向かうデザイン作業は、それぞれのデザイナーの役割にもよりますが微々たるものですよ。デザインは、自己犠牲を厭わなければ四六時中なにをしていてもできるものなのです。デザイン業界の労働環境は数十年前と変わっていません。この業界は産業としては非常に規模が小さい。デザイン事務所の従業員数は数名のところがほとんどです。そうした状況において、いかにデザイナーとしての発言力や影響力を持ち得るか、社会的役割を認識できるかを自身に問いかけるのです。各会社の経営戦略や販売戦略は企業デザインそのものなのです。デザイナーには資格試験がありません。結果責任を問われることも、まずありません。だから尚更に、美意識を磨き、経験と実績を積み重ねて的確な提案をする責務があるのです。

 

 

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江藤一弘

株式会社 インプレス

 

代表取締役/マーケティングデザイナー

1952年生まれ、大分県津久見市保戸島出身。展示会ディスプレイ、印刷、看板店舗デザイン会社などを経て、平成2年に株式会社 インプレス設立。大分県一村一品運動よりマーケティングデザイナーとして活動。県内外のマーケティングを主軸としたパッケージから店舗デザイン、プロモーションを幅広く手がける。

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